中国茶

中国茶の歴史

薬だった茶葉

神話の中までたどれば紀元前2700年頃、つまり今から4000年以上も前に茶葉は煎じ薬として用いられていました。
実際に、お茶がお茶として飲まれていたことを説いている資料は、紀元前59年に記された 「僮約」(どうやく)-奴隷売買に関する契約書とされています。

お茶で宴会

確実にお茶が飲まれ、その後の広がりにつながっていった時代は、三国時代(220~265年)と推察されており「三国志」の中では酒の代わりに、お茶を飲んだという話もあります。 お茶会のルーツとも言えます。

上流階級によって始まった茶文化

嗜好品として生活に深く関わるようになったのは唐の時代(618~907年)で皇帝への献上や課税の対象になるなど、貴族階級が飲んでいました。この頃は、茶葉を丸めた固形茶が主流で、あぶって粉末にし、熱湯に入れてい たようです。茶葉そのものは製法が簡単な緑茶だったとされています。また、甘草や葱、生姜、柑橘類、ハッカ、麝香などを混ぜて飲むことが多かったそうですが「茶祖、茶聖」とたたえられる「陸羽」(730頃~803)が書いたお茶の解説書「茶経」では、塩以外の混ぜ物は味を損なうとして、快く思っていなかったようです。いずれにせよ、上流階級の人々を惹きつけたことで、釜入りの技術も研究されるようになり、現在のお茶の基礎が築かれていった時代といえるでしょう。

現代茶器の基礎

上流階級の人々がお茶を楽しむ時代は宋の時代(960~1279)、元の時代(~1644)と続きますが、この頃には粉末より釜炒りの茶葉が飲まれるようになったり、茶葉のみならず、茶器もお茶を楽しむための重要な要素とい う意識が広がったようです。茶湯の色を楽しむために白磁が普及したり、コバルトを使って景徳鎮の窯で焼く青磁などの技術も生まれています。

庶民にお茶を解放

明の時代の(1368~1664)1391年に皇帝洪部帝が、貢茶における固形茶づくりは大変な労力を必要とすることと贅沢になりすぎたお茶を戒めるために製造を禁止しました。この貢茶制度の変革とともに固形茶を粉にした「粉末茶」も衰退し、散茶が主流となり、庶民の間でもお茶が親しまれるようになりました。龍井茶などの銘茶が知られるようになったのはこの時期で、白い茶碗や染付けの磁器茶壺(急須)も使用されるようになりました。

青茶の登場

17世紀、清の時代になると茶文化の華が咲き、中でも福建省で青茶の烏龍茶が登場し、香りを楽しむ中国茶の飲み方が広がりました。茶道具もほぼ揃い、現在の中国茶の楽しみ方が形成された時期と言えるでしょう。

日本への上陸と普及

もともと日本に茶の木があったという説、中国から来たという説がありますが一般的には後者で、鎌倉時代に臨済宗の開祖栄西禅師が宋からお茶の木を持ち帰り、栽培から製法までを伝えたといわれています。そして「喫茶養生記」を書きお茶の普及に努めています。これにより、上流社会にお茶が浸透しました。以後、室町時代に「千利休」によって日本独自のお茶文化「茶道」が生まれました。ただ、日本のお茶は中国茶とは製法が違う「日本茶」という独自の形で根付きました。(中国茶は炒って作られるものが、日本茶は蒸して作られるものがほとんど)庶民がお茶を飲むようようになったのは江戸時代になってからです。煎茶が発展し始めたのが1730年代後半、玉露が発明されたのが1830年代のようです。

ヨーロッパでは

ヨーロッパにお茶が伝わったのは明代末期にオランダ人が紹介したのがきっかけで、その後、清の時代にイギリスが買い付けるようになりました。ヨーロッパに定着したのは紅茶。今ではイギリスを代表するお茶となっています。

そして現在

「日常茶飯事」という言葉どおり、家庭・職場・レストラン・旅行など、お茶は私達の暮らしの中で、意識することなく飲まれています。最近では日本茶・中国茶とわず、お茶の健康促進効果が解明されつあり、体と心を癒す飲料としても定着しました。さらに、中国茶を使った料理やデザートなども多く見かけるようになり、食材や調味料としても活躍しています。

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